夕べ紀雄が長野駅からの終電で家に着いたのは深夜であった。深夜といってももうさほど寒くはなかったが。そして、紀雄が朝起きた時にはすでに午前9時を過ぎていた。夕べ帰宅時刻が深夜になることを芳子に連絡していなかったことで小言を言われながら遅い朝食をとった。
自宅から大学のモバイルで接続しメールを読んだ。智、岩井、東の三人からそれぞれ返信が来ていた。智のメールの内容は、入試以来2ヶ月、彼は自立に向けて進むべきなのに、生活に密着した内容の相談メールは全くこない。岩井からのメールはまたも深夜の発信である。東からのメールでは相変わらず岩井に対する攻撃性を感じざるを得ないものである。
送信者: “東 亨” <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp> 宛先: “須坂 紀雄” <n-suzaka@joetsu***.ac.jp> 送信日時: 20**年3月28 8:08 件名: ReReRe:塔身部の檜の件 |
須坂先生
お世話になっております。**博物館の東です。 さて、先生の英知に驚かされるばかりでございます。全くもって私を含めて博物館のメンバーは何をしているのでしょうか。本来であれば正に学芸員こそ、本件の謎を解かなくてはならないと言うのに。 東 ----
Original Message ---- 須坂教授殿 お世話になっております。**博物館の岩井です。(@・@) 私の専攻は仏教美術史ですが、当然、普通の教養レベルの方々よりは神道の歴史や美術を心得ているはずですが。なおかつ、私の友人の一人が前回の伊勢神宮の式年遷宮のとき伊勢まで見学に行ったことまであるというのに。またしても先生に一本取られてしまいました。 岩井(‘@@) ----
Original Message ---- 檜の伐採年は西暦1282年(±5年)とのこと。もしこの年に伊勢神宮で遷宮しこの用材が使われたとすると、篠島の神社の用材となったのは、次の遷宮でのタイミング。従って20年後の1302年。さらにその次の伊勢神宮の遷宮から用材を島の神社が得るのは1322年。この段階で1282年伐採の檜は島の神社でも不要となり、晴れて他目的に転用可能となる。転用まで16年間も放置あるいは保管されていたことにな |
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岩井美佐子は朝、娘を保育園に預けた後、博物館には行かず、直接、甲府にある県立**図書館に向かった。何故か博物館に足を向けるのが嫌であった。
美佐子は正直、疲れていた。最近、寝付けないことが多く、眠れないのでついパソコンに向かいメールを読み書きしてしまう。そして睡眠不足となる。そのせいか、頭痛が以前より多く、時々めまいがすることもある。
また、上司である東がいつも自分に対して普通以上に厳しいのではと感じ始めている。さらに、年下の野本ですら自分の仕事を邪魔しているように思えることさえある。仕事のことだけではない。実は娘の綾実の保育園の親たちの仲間うちでのお付き合いにも限界を感じているし、昨年の四月から綾実を保育園に預けて以来、主人の母親が急に冷たくなったとも感じている。にもかかわらず主人の晴彦は何も助けてくれない。美佐子の主人は毎日、車で御坂(みさか)峠を越え、富士吉田にある電子機器メーカーに通っており、深夜まで帰ってこない。
「精神的にも肉体的にも参っているかも」ふと自分にささやいた。でも、負けたくない。私は仏教美術の専門家で学芸員なのだから。そうは思いつつも、家でメールに向かっているとき以外、惰性で動いていてその実、家事は元より育児も仕事もやる気でやっているわけではないと思うときがある。
図書館は市内の丸の内と言われる中心街にある。武家屋敷跡だと言う。地下一階、地上四階建てのビルである。美佐子は駐車上に車を止めて図書館に入るや否や司書を尋ねた。その司書の名は、三杉真理。実は県職員として美佐子の同期にあたる。かつて良く飲みに行った仲である。また須坂宛のメールに書いた、伊勢神宮の式年遷宮のとき伊勢まで見学に行ったことまである友人とは、この女性のことである。三杉真里は岩井美佐子と同い年であるが未だ独身であった。
三杉真里は就職前、都留にある大学に通っており、大学の助教の男と付き合いがあり、真里が就職後に結婚をする約束をしていた。ところが真里が県に内定した翌月に男は北海道の大学に公募で採用され移っていった。就職後しばらくは遠距離恋愛が持続したのだが、安月給では毎月会うためのフライト代もままならず、結局半年後にはすべてが白紙となった。県職員になって間もない頃のことである。当時、落ち込んでいた真里を美佐子は散々なぐさめた仲なのである。ただ、最近では、特に、美佐子が娘を生んでからは、時折、携帯でメールをやり取りする程度の仲であった。
「真里。元気、久しぶりね」
「あら美佐子じゃない。突然メールもなしで来るなんて。どうかしたの。あややんは元気」
「ただの調べものよ。調べもの」
真里は2階のカウンターから出て、美佐子とともに3階の休憩室に行き、結局二人で一時間以上もあれやれこれやとしゃべった。もちろん、東や野本に対する愚痴から、百万塔レプリカのこと、さらには須坂教授や智のことまで。智の特異的な才能に関して三杉も興味を持った。これらの会話の後、美佐子は少しだけ心が楽になった気がした。図書館に来て良かった。そう感じた。
さんざん、おしゃべりを楽しんだ後、司書である三杉は端末に向かい伊勢神宮の記載のある図書を検索してみた。すぐに26冊の蔵書がディスプレイ上に出た。真里はそのリストをプリントアウトしたものを美佐子に渡し、書庫の場所を教えた後、やっと普段の仕事に戻った。
プリントアウトのおかげで美佐子は式年遷宮の歴史が書かれた本を直ぐに見つけることができた。そして、関係のありそうな年の部分のコピーをとった。
1283年(弘安六年十二月九日) 1284年(弘安七年三月二十二日) 1285年(弘安八年九月四日) 1285年(弘安八年九月八日) 1287年(弘安十年九月十五日) 1288年(正応元年八月二十三日) 1290年(正応三年九月十一日) 1296年(永仁四年十二月九日) 1297年(永仁五年五月九日) 1299年(正安元年十一月二日) 1304年(嘉元二年十二月二十二日) 1306年(徳治元年十二月二十日) 1311年(応長元年十二月二十八日 |
内宮/仮殿 外宮/仮殿 外宮/台風破損・仮殿 内宮/第三十二回式年 外宮/第三十二回式年 外宮/心御柱損傷・仮殿 内宮/仮殿 外宮/心御柱折損・仮殿 内宮/御装束鼠損・仮殿 外宮/心御柱奉替・仮殿 内宮/第三十三回式年 外宮/第三十三回式年 内宮/屋根破損・仮殿 |
1282年には式年遷宮は実施しされていない。ずばり1282年に式年がなかったことに美佐子は強いショックを感じた。これでは須坂教授の説を裏づけすることができない。しかし、伐採年の測定誤差は±5年である。誤差範囲内では確かに第三十二回の式年が相当する。でも、それではすっきりしない。誤差範囲内では実証されるのだからこれでいいのよ、と無理やり自分を納得させようとしてみるも無駄である。でも事実は事実、変更しようがないので、これ以上調べようもない。あきらめざるを得なかった。そして、いやな気分を引きずりながら図書室を出た。
真里のいるカウンターの前で真里に挨拶をしようとしたその時、美佐子は激しいめまいを感じその場にうずくまってしまった。直ぐ隣にいた年配のご婦人が声をかけてくれた。
「大丈夫、あなた」
笑顔で「ええ大丈夫です」と答えようとしたが、声がでない。暫くして起き上がろうとしたら、今度は急に片頭痛に襲われた。そして暫く蹲っていた。
老人がカウンター内にいる真里に助けを求めているのが分かった。真里がここにいて幸いである。
美佐子は真里の質問にきちんと声で答えることができない。ただ、頭を左右に振るか上下にふるかしかできない。様々な質問をした後、真理は尋ねた。
「美佐子、あなた、もしかしたら声が出ないんじゃない」
美佐子は頭を縦にふった。
「病院にいったほうがいいわね」
美佐子は頭を横に振った。仕事や家事のこと、17時に娘を保育園に迎えにいくこと、スーパーで今晩の夕食と明日の朝食の分の食料を買うことなど今日の予定が脳裏を駆け巡り、とても医者になんかいっていられないと思ったのである。
「だめよ。絶対に。いかなきゃ。私が連れてってあげるから」
美佐子は頭を横に振った。頭を横に振るたびにずきんと痛むのだが。
「実はね、県立病院の女性専用外来の先生をよく知ってるのよ。あの先生ならいいわ。直ぐに見てくれるわ。県立病院なら富士見通りだからそう遠くないし」
本来、山梨県立**病院は2次医療機関であるため、紹介状もなく初診で行くとひどく待たされるのが通常なのだが。まして女性専用外来は完全予約性である。でも先生も、さらに幾人かの看護師もが真里の知り合いであること及び同じ県職員同士であることは特権である。真里が携帯で今から45分後に予約をねじ込んだ。循環器科でもなく、内科でもなく、産婦人科でもなく、さらに言えば脳神経内科や精神科でもなく、女性専用外来であったのは実は大正解であったのかもしれない。
診察を受ける頃までには、少し声がでて片頭痛もかなり治まり頭重程度になっていた。先生は当然女医であった。真里はプライバシーを理由に診察室まではさすがに入れなかった。先生は辛抱強くイエス、ノー質問をした上で、あまり声の出ない美佐子にペンで症状の他、気になることと近況を書くように指示した。血圧と脈をとった以外は、声がでないというのに口を空けることもなく、また、聴診器を当てられることも全くなかった。ただ、念のためと血液採取はあった。40分間も診察は続いた。診断の結果は仮面うつ病。美佐子は、ウツと言えば自殺とリンクするものだと思っていて、自分には自殺願望など微塵もないのに思った。確かに精神的にも疲れてはいるけど自分にはふさぎ込んだり、憂鬱にしていられる時間など全くないし、単に睡眠不足による不定愁訴なんだと考えていたのに。美佐子としては実は、最も恐れていたは若年性の更年期、いわゆるプチ更年期と診断されることであった。そうではなくてよかったのだが、仮面うつ病という診断結果はあまりも意外であった。
「あの・・・・仮面うつ病って、・・・・・・・ええっと、・・・・・・なんですか」いわゆるうつ病の症状は精神面に現れる症状と身体面に現れる症状があり、一般的に言われているうつ病の場合は精神症状が主で、時として精神症状プラス身体症状が現れる。精神症状、例えば、意欲の減退、抑うつ気分、不安感、焦燥感、自殺念慮のような症状がほとんどなく、逆に睡眠障害、食欲不振、全身倦怠感、頭痛、肩こりなどの身体症状が強く出る場合があり、このような状態のことを、仮面うつ病と呼んでいる。と女医に説明された。そして最後に女医は付け加えるように言った。
「でも心配することはありません。治りますので。お薬を処方しますので。お仕事は休んだほうがいいです。最低でも二ヶ月は。ご実家はどちらですか」
「えっ・・・・え、鎌倉です」
「ご実家で休養なされるのも手なんですけどね。ちょっと遠いかな。あなたが書いたシートによると博物館での人間関係も今回の病状にかなり影響をしていると言えます。それから、メール依存が強そうですね。もっとメールじゃなくてお友達と直接おしゃべりするようにしてみて下さい。当分メールも止めたほうがいいです。さらに携帯電話も止めたほうがいいです。仕事の話が来るかもしれませんので。それからご家族の方もこの病気に関して理解をしていただかないとなりません」
美佐子は返す言葉がなかった。休職などあまりにも青天の霹靂である。とりあえず薬物療法と安静だという。美佐子は驚いた。カウンセリングなんかはないのかしら。本当に治るのかしら。不安と疑問だらけであった。ご家族の方へと書かれたプリントを診察の最後に渡された。
美佐子の診察後、何故か真里が呼ばれて診察室に入ったが5分後に出てきた。
「どうしたの。わたしのことで・・・でも・・・」
「いえ、私も最近まで先生の患者だったから」
何か美佐子には解せなった。
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