遠江安国寺。百万塔のレプリカが発見されたのは甲斐安国寺。どちらも安国寺。偶然なのであろうか。

「もう、パソコンはいい加減にして寝なさい。今日は入学式で慣れない服を着て疲れたでしょう。それに明日から毎日通うのよ」
芳子が智に向かって言った。智はいつも無言で芳子の言うことだけには素直に従うことが多い。ところが今日は極めて珍しいことに智は声に出して答えた。
「メール1通だけ書いてから」

岩井からのメールに返信しようと思ったが、他のメンバーにも知らせたい。その場合に岩井からのメールの返信を使用すると内容を三杉真里が見ることになる。智は、それは不味いことであると考えた。そう、智もここまで人間関係の機微を理解できるようになったのである。直接宛先はto:のみで、岩井美佐子、三杉真里、東亨、須坂紀雄とした。

送信者:  須坂 智 <satoru@mfx.hink.ne.jp>
宛先:     岩井美佐子<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
送信日時:   20**4623:08
件名:       北緯34度40分39秒線 

皆様へ

本日、**大学理学部へ入学。

電子国土地図というウエブ上の地図を見ていてある発見をした。千浜砂丘と篠島の概略の位置が共に北緯34度40分±1分にあり、より詳細を見ると篠島の帝井の座標が北緯34度40分39秒である。そこで逆にこの北緯の線上で千浜の近辺に何があるのかと調べてみたところ、金剛山貞永寺なるものがあった。ウエブでこの寺を検索した結果、実はこの寺は遠州安国寺であることが判明した。今まで甲斐安国寺と篠島を繋ぐものが全く存在しなかったが、これで一つの仮説が成り
立つ。


  1:百万塔は千浜産ではなく、論理性からやはり知多篠島で作られた可能性が
    極めて高い。

  2:千浜の近くに遠州の安国寺がある
     ⇒もし、この寺に百万塔があったとすれば、上記1より作製後に移動し、
      何某かの理由で千浜の砂を内部に入れたと推定可能

  3:遠州の安国寺と甲斐の安国寺で、例えば寺宝の交換があった。又は単に
    取引や譲渡でも良い。

やや、論理的飛躍は否めないが、ヒントとして情報を提供する次第。

北緯34度40分39秒線上に関し個人的にもう少し探る予定。

須坂 智

 翌日、金曜日、曇りであった。大学までの道にある桜はほとんど散ってしまっている。芳子は智を連れて自宅から徒歩でキャンパスまで行った。今日は講義があるわけではなく履修のガイダンスや大学生協への加入手続き、一部必須科目の教科書の受け取りなどがあるのみだ。芳子はさすがに教室までは入らずキャンパスの中庭のベンチで読書して暇をつぶした。キャンパスでは稀なおばさんがベンチに座って本を読んでいる。学生達にはどのように移っているのであろう。教授。否、来週からはさすがにもう智のことを引率するのはよそうと思った。キャンパスは新入生でどこなくうきうきした雰囲気が芳子には感じられた。眩しい春の日差しは既に暑くすらある。自分が学生の時代と今、新入生を迎えた大学の雰囲気はあまり変わりない。まるで自分が学生のような錯覚に襲われる。智が少しでもこの雰囲気を感じ取れたら。心底、智を産んでよかったと思えるかもしれない。息子への愛は人一倍と思っているが、時として智を産んでよかったと言えるのか自問することがある。普段、紀雄には智を授かって幸せだと言っているのだが。

 智は大学生協の本屋に行き地図を探した。少なくとも静岡県と愛知県が同じページにある地図を。要は篠島と貞永寺を結ぶライン上に何が存在するのかを調べたい。しかし、ある程度詳細な地図ではどうしても県単位がページになっていて、逆にまた日本全体が開きに出ているような地図では広域過ぎて役に立たない。帯に短し襷に長しである。諦めかけたとき壁はり用の日本地図が目に入った。これだと思い直ぐさま二百万分の一の壁はり用の地図を智は購入した。
 智の残った所持金は278円となった。智は大金を持たされたことが全くなかった。芳子もすっかりそのことを忘れていて昨日も今日も智にまともな現金を持たせていなかったのである。

 芳子とともに自宅に帰るとすぐさま智は地図を机上に開き、30cmの定規を当ててみた。定規の一部を篠島付近に、もう一箇所を掛川市の大東付近、つまり貞永寺の辺りにあてがい、その線上に来る関西より東の地名を調べた。つまり北緯34度40分39秒±30秒程度の線上にくる地名である。東から順に主要なものを挙げると、最東端は伊豆大島波浮港の突端部、伊豆急下田駅付近、西伊豆波勝崎付近、御前崎のやや北で吉田〜相原付近、貞永寺付近、浜名湖の湖西付近、愛知県に入り渥美半島の田原付近、篠島付近、三重県に入り久居付近、青山高原付近、伊賀市付近、奈良県
に入り山添村付近、奈良市の奈良付近、大阪府生駒付近、東大阪市付近そして大阪市中央区付近である。さすがにこれだけ大雑把であると智として知りたい情報はほとんど含まれなかった。ただ少なくとも大島は無関係であろう。

 そこでいかにも今回の百万塔に関係ありそうな地名の周辺だけを電子国土地図で調べることにした。関係ありそうな地名・・・・・・。伊賀市という地名に引っ掛かる物があった。それとあと百万塔と言えばそもそも奈良の十大寺に存在していたのだから、奈良は関係がある筈。
 まずは伊賀からである。智の映像的記憶から百万塔の内文書が蘇った。内文書の最終行、岩井美佐子が宛先と言っていた最終行の書き出しが伊賀であった。確か伊賀上神戸ヶ介である。以前、東から送られてきたメールで伊賀に言及しているものがあったことも智は思い出した。メールボックスで東発のメールを調べてみた。3/15付けメールで件名が“Fw: 分析結果”にその記載はあった。「伊賀(三重県:忍者の里で有名)に神戸(かんべ)という地名があります」とある。智は電子国土地図を開いて伊賀市付近での北緯34度40分線上を調べてみた。
 通常の感情起伏のある人間であれば、電子国土地図の画面に出た地名を見て鳥肌を立てたであろう。しかし、かなり健常者に近づいたとは言え智はそれほどの感慨を持たなかった。それどころか当然あって然るべきことであると感じているのである。画面の地図には「上神戸」と言う地名が出ている。
 電子国土地図の伊賀市付近、1万5千分の1、地名に大きく上神戸と出ている付近で座標を正確に見る。上神戸の付近は北緯34度40分50秒。上神戸の下に出屋敷という地名があるが実はそこが正に北緯34度40分40秒である。ちなみに北緯1秒の差は距離では約30m差である。
 次に智はさらに、奈良公園付近を34度40分40秒線が通る場所を調べる。そこにあるのは要するにお寺であろう。その寺が古代から存在している場合、開山年を調べずとも南北朝時代には既に存在している筈である
 電子国土地図を伊賀から西にどんどんスクロールさせていく。そして奈良県に入る。このライン上に来る寺や史跡はと言うと、東から、春日山石窟仏、新薬師寺、元興寺、唐招提寺となる。唐招提寺の直ぐ南に薬師寺があるが最も北で北緯は34度40分11秒。微妙である。プラスマイナス30秒とすれば薬師寺もライン上の寺と言
える。

 智の脳は記憶を瞬時に固定できる。特に写真のように。逆に概念を抽象化しコード化して関連付けて記憶する事に対しては凡人とさして変わらない。奈良の十大寺・・・・・・果て、確か法隆寺、東大寺・・・・・・だったか。記憶は不鮮明である。そこでサーチエンジンで百万塔と寺院をキーワードにして検索をかけた。そしてすぐにその答えは、法隆寺、大安寺、元興寺、薬師寺、興福寺、東大寺、西大寺、弘福寺、四天王寺、崇福寺と出た。この中で北緯34度40分40秒線上の寺は果たしてあるのか。
 単なる偶然か。それともある意図が作用しているからこそなのか。北緯34度40分40秒線上の奈良の寺院と百万塔がかつてあったとされる寺に共通の寺がある。元興寺と薬師寺である。ただし薬師寺は位置的には微妙であるが。また薬師寺と新薬師寺は地図上では全く別の位置にあるがこれらの寺の関係は智には全く判らなかった。そこでインターネットのWikipediaで調べてみた。結論から言えば薬師寺と新薬師寺は別の寺である。そして困ったことに新薬師寺を調べるとこの寺も奈良時代に開山している上、十大寺の一つとなっている。ちなみに「新」とは新しい意味ではなく霊験新たかと言う意味であると言う。薬師寺が西の京で西大寺の傍であれば、新薬師寺は東の京で東大寺の傍らにある。平城京は概ね寺院も左右対称に建てられたからだ。
 これらの情報だけからでは新薬師寺を百万塔の寺から外してよいものか判断ができない。従って今の段階では北緯34度40分40秒線上と百万塔が共通する可能性がある寺は、元興寺と薬師寺と新薬師寺ということになる。

 智は薄々感じていたのだが、北緯34度40分40秒線上にはやはり何らかの意図があると。また今やそれは明白なことであるとも。もし仮にこの東西の一直線上に並ぶ地が単なる偶然の一致であるとしたら、その様なことが生ずる確率は無限に小さいはずである。この北緯34度40分40秒線がまさに百万塔の謎を解く鍵そのものであると。
 ところで、ある地点で方位磁針が示す真東あるいは真西に進むと言うのは二通りの意味がある。厄介なことにそれぞれの意味で通るルートが異なってしまう。数学好きの智は幸いそのことに直ぐに気がついた。ある地点で方位磁針が示した真東の方向に一直線に進んだとすると、それは同緯度である真東の方向には進まない。球面幾何学で言う大円を進むことになる。大円と言うのは球体の中心を通る円でその球体で描ける最大の円のことである。従って、ある地点から東を示した方向に一直線に進むと徐々に南にずれ球体の全く反対側を通り元の地点に戻る。日本から東に向けて一直線に進んだ場合、ブラジルを通過することになる。これに対してある地点を出発して常に方位磁針が示している真東に進むのは一直線に進むのとは全く異なる。この場合は文字通り真東に進む。つまり同緯度上を進むことになる。これは球面幾何学で言う小円を進むことを意味している。小円は地球の場合、極間を結ぶ地軸のその緯度での中心高を中心とした円のことである。
 もし、北緯34度40分40秒線上と言うものに意図があるとすれば、意図と言うのはある特定の組織や人物の考えと言うことになるわけだが、その組織なり人物は方位磁針で常に東なり西を確認にしながら移動していたということになる。しかし、あの時代にそのようなことができたかのどうか。智は方位を感じ取れるような特異な才能の人間がいたのではないかと考えた。 

* * *

 真里は多少苛立っていた。今日は常より下腹痛が激しい。貧血で眩暈になりそうだとも思った。
 そんなの単なる偶然に決まってるじゃない。そうじゃなかったらこじつけよ。智のメールを読んだ真里の第一印象である。GPSでもない限り、今だって何百キロも離れた地点が計画的に全く同じ緯度にあるなんてありえない。ものすごく恣意的な解釈だわ。そもそも千浜砂丘と篠島は緯度が似ているだけで厳密には違う。事実はそこまで。それなのにどうしてわざわざ、篠島の緯度と一致する場所を探すわけ。
 真里は前回美佐子に電話したときの彼女の態度を気にはしていたが、それがまさか自分に対する不信感であることなど考えも及ばなかった。むしゃくしゃした気持ちを何とかしたくて真里は美佐子に電話をしてみた。
「もしもし美佐子、真里。元気。パキシル効てる」
「どうかな」
前回電話した時と似たような受け答え方である。真里は美佐子の病状が悪化したのかと思った。
「メール読んだ」
「うん」
「ちょっと、恣意的すぎると思わない。なんで千浜から貞永寺とか安国寺とかが出てきちゃうのか。GPSもない時代にどうして。同じ緯度なんかで移動できるわけないじゃない」
「案外、歴史なんて不可解なことが起こりうるから。そんなものよ。私は智さんの考え方は正しいと思うわ」
「あらそうかしら」
「でもこれで千浜説も否定されないし、甲斐とのリンクもできたし」
「安国寺リンクってこと」
「そう。これでめでたしめでしたじゃない」
美佐子の言い方はある意味で投げやりな感じで、また他人事風あるいはわざと冷めている風である。そこで真里は美佐子にわざと噛み付いてみた。
「でも、安国寺同士とは言え、なんで百万塔が移動したのか理由は不明よね」
「寺宝の交換ってよくあることだから。あの寺の涅槃図って、江戸時代に臨済宗の宝泉寺に現存してる夢想国師の胸像と交換して得たのよ。私、何回か実地調査したも
の。

「それじゃ、この安国寺リンク説でもって百万塔の謎は解けたと言えるってこと」

「まあ、大体は、そう言えるんじゃない」
「でも、もし遠州の安国寺を経由して甲斐の安国寺に寺宝を交換して移したとしてもよ、そもそもどうして篠島から遠州に移したのかしら」
「何か理由があってというか。真里。そもそも、百万塔は秘密文書を、多分、伊賀経由で吉野朝に宛て送ったものなのよ。作製されたのは篠島かもしれないけど。常に移動を前提として作られたものなのよ。わかる。篠島から直接遠州に行くなんて事は絶対にないのよ」
「だからこそ、益々、篠島と遠州のお寺が同じ緯度である必然性はないわけじゃない。だとすれば、あの子の考えた方っておかしいんじゃない」
「そうかしら。結局、百万塔の製作地と目的と大枠の移動の様子はもう分かったのよ。確かにどこをどう経由したか細かい点は不明かもしれないけど、その移動の動線のヒントを智さんが与えてくれたのよ」
「美佐子って、結構、あのファミリーのことを庇うじゃない」
「別に」
多分、話は堂々巡りになる気がした。真里の苛立ちは所詮電話では解決しない。美佐子に再度、近況を確認してから電話を切った。

 電話を終えてから直ぐに真里は着信していた携帯メールを読んだ。美佐子との電話中に送信されたものである。博物館の野本からの携帯メールである。
 実は、美佐子には全く話していないのだが、こないだの百万塔の砂の分析の一件以来、真里は頻繁に野本と連絡を取り合っていた。初めの頃は真里からの通信のみであったのだが。先週来、野本の側からもよくメールや携帯がくる。次第に内容は百万塔以外の話題が増え、お互いのプライベートなことを含むようになっていた。例えば、J−POPのシンガーのこととか。甲府でのイベントのことなど。
 そしていつの間にか真里は年下の野本からデートの誘いが来ることを電話の度に期待するようになっていた。期待が外れると携帯の赤ボタンを押しながら溜息をついてしまうほどに。そして野本の眼前では吸うのはよそうと思っているタバコについ火をつけてしまう。
 そんな野本からのメールは真里のむしゃくしゃした今日の気分を一変させた。短いメールで一言、“明日、国母のシネコンで*****ご一緒に見ませんか”。
 野本も一大決心でこのメールを出したに違いなかった。真里は思わず一人で笑いつつ携帯を握る手に力が入った。さすがにガッツポーズはしないものの、アニメの少し外れた少女役の様につい「よしゃーあ」と声が漏れてしまった。

* * *

 真里との電話の後、美佐子は疲労を感じた。このところ頭痛よりむしろ精神的なダメージを受けている自分に気がつき始めていた。いつの間にか仮面鬱病が精神的面にくる通常の鬱病に変化してきている気がした。
 実は夕べ晴彦と相談して、少なくとも今度のゴールデンウィークが終わるまで、綾実とともに鎌倉に滞在することを決めていた。さっきの電話で真里に伝えようかとも思ったのだが。関係者にはメールで伝えようと考えた。
 実家にはパソコンを持ってはいかれない。どのみちメールは禁止中であるのだから。とは言え昨日来メールをやっている。鎌倉に行ったら博物館のアドレスは使えないから携帯の個人アドレスを使う他ない。そこで鎌倉の里帰りの件を携帯から出すことにした。

            
To: n-suzaka@joetsu***.ac.jp
To: satoru@mfx.hink.ne.jp
To: misugimari@***.nif**.com
To: t-higashi@yhmuseum.pref.
  yamanashi.jp
To: t-nomoto@yhmuseum.pref.
   yamanashi.jp
Sub:お知らせします
[本文]
こんにちは、岩井美佐子です
(・.・;。
ご迷惑をおかけしています。
残念ながら未だに頭が(>_<)。
ただお薬のおかげで良く
(-_-)zzz。
ところで急なことで
\(◎o◎)/!
されるかも知れませんが、
私と娘の綾実は明日から実家
の鎌倉材木座にしばらく滞在
いたします<(_ _)>。
今までの博物館のメルアドは
使用できません。この携帯の
メルアドをご使用下さい
<m(__)m>。
⇒kojinmisako-i@doumo*.ne.jp

美佐子

 
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第二部目次 (甲府・ 東山道編)

    
  

    
  
  
  

  

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