元弘の乱以前、伊賀良荘の地頭は北条一族である江間氏が努めていたが敗戦後、彼は高時入道と共に殉死してしまった。残された彼の妻尼浄元は寺領を寄進。その寄進地にて小笠原貞宗が開基となり、建武二年(1335)に元僧清拙正澄(せいせつしょうちょう、諡、大鑑禅師)を京都建仁寺より招き畳秀山開善寺を開いた。
 さてもこの寺、三河及び遠江に続く街道の要地にあり、またそれこそ南朝方信濃宮の直接的防衛拠点となり得る戦略上の要地にある。当然、尊氏卿をはじめ幕閣達はこの寺を信濃国の諸国寺塔毎国各一所の寺にと考えたはずである。しかし、現実は違う。信濃国の諸国寺塔毎国各一所の寺は興国五年のこの段階では未だ決定されていなかったのである。実はこの翌年、興国六年(康永4年(北)1345)二月六日、光厳上皇の院宣が下り、諸国寺塔毎国各一所の内、寺には安国寺、塔には利生塔と言う称号が勅許される。そしてその年に開善寺とは全く別の諏訪の地に信濃国の諸国寺塔毎国各一所の寺として泰平山安国寺(現在も泰平山安国寺)が建立される。この安国寺には信濃出身で天龍寺の住持でありかつ夢想疎石の法弟であった昌立李成が帰郷して住持に就いている。要するに足利幕府としては南朝方の防衛拠点として街道筋の開善寺を諸国寺塔毎国各一所の寺にしようとしたのだが。しかし、この寺は夢想疎石が建武年間に諸国寺塔毎国各一所の寺の理念を思いついた頃、既に臨済宗の寺として疎石一派とは無関係の元僧により開山されている。それは夢想なり夢想の法弟が開山や中興の祖になる機会が全くないことを意味する。幕府方がいかに興味を示そうとて自分の一門が関与できない寺なぞは、疎石にとって無価値であり安国寺の資格のない寺であったのであろう。だからこそ同時代の臨済宗寺院なのにもかかわらず、かつ戦略上の極めて要所であるにもかかわらず、この開善寺は安国寺にはならなかったのであろう。

 目西と鷹鷲は行脚の身。無論本物の雲水ではない。がしかし、行脚の雲水に扮している以上、当然、臨済宗の寺への投宿は規定通りの修行を伴うことを意味していた。

 僧堂の中は外よりはましとは言え寒かった。門宿といって行脚僧が寺の門前で夜を明かすのに較べればまだましだが、目西にとって修行は非常に苦痛を伴うものであった。昨日まで宿屋で寝起きし飯と布団に慣れた鷹鷲にとっても僧堂のなかに与えられた単(たん)と言われる畳一畳分未満の狭い空間で、寝起きしかつその場所で粥坐(しゅくざ:朝食)も薬石(夕食)も、さらに座禅までを組むのはさすがに辛かった。 その晩、修行で夜坐と言って開枕(かいちん:就寝時刻)の後に坐禅を組まされた。目西は師家から頻繁に竹箆(しっぺい:竹の杖上の法具)で背中を打たれている様子。鷹鷲もよく指導を受ける。やはり本物の雲水ではないからであろうか。竹箆で打たれるとかえって瞑想状態に入るのに邪魔になる気がした。そこで瞑想にふけるふりをしながら鷹鷲は周りの様子を薄目を開け探ってみた。昼間より会下(えか:雲水)の人数が幾分増えているように感じた。目西と自分以外にも頻繁に竹箆で指導を受ける雲水が他に二名いることに気がついた。新到(しんとう;僧堂に入門し日が浅い者)であろうか。
 夜坐が終わり消灯され就寝するまで一瞬間がある。顔までの確認は無理だが、鷹鷲はその時自分達以外に頻繁に師家の指導を受けていた二人の雲水の位置を確認した。

 翌朝、粥坐のおり、鷹鷲は昨夜確認した位置に座している二人の雲水達の持鉢(じはつ:雲水が持参している食器)を見た。他の十名ほどいる雲水の持鉢とは明らかに異なっている。自分達とこの二名を除く者達は皆同じ持鉢を使っている。多分、この寺の物なのであろう。だとすると件の二人は、自分達と同様投宿組みか。投宿組みに対して師家は厳しいのか。どうやら単なる新到ではなさそうである。二人とも新到を装っているのかもしれない。鷹鷲はそう感じた。
 朝の作務の時間、鷹鷲は件の二人を観察し続けた。雲水としての所作がぎこちない。新到だからか。はたまた新到のふりだからか。目西よりも不慣れな感じだ。それにしてもそのような新到がこのような季節に行脚に出て師家を求め修行するなどと言うのは少し妙な気もする。実は別に新到のふりをしているのではなく本当に所作が不慣れなのかもしれない。
 向こうもこちらの様子を時々伺い始めた。こちらを伺うその様から鷹鷲は悟った。彼らも忍びであると。そしてまた伊賀者であると。自分達と同様、本物の雲水ではないのだ。と言うことは例の執事高師直殿の配下の忍びであろうか。懽子内親王を追って来ているのかもしれない。彼らは宿駅ではなくいつも寺に投宿しているのか。それとも正に自分達と同じで天竜川を前にしてこの寺に偶然辿り着いただけなのか。あるいはこの寺に潜む特別な理由でもあるのであろうか。鷹鷲は推察した。もし彼らが本当に高師直殿の配下の忍びであり、懽子内親王を内偵するのであれば、内親王がこの寺に来ると言うことであろうか。

 午後の作務の前に知客(しか:雲水の取締役、接客役)から雲水を初め、単頭(たんとう:僧堂の役職)、堂頭(どうちょう:住職)、侍者寮(じしゃりょう:雲水や高僧の世話役)に指示があった。さる高貴な客人が滞在される故、客殿の周囲は特段入念に清掃するようにと。雲水がさってからも単頭、堂頭、侍者寮やその配下の十名以上が接客の段取りをしていた。知客の様子からはかなり焦りが感じられた。かなり唐突な訪問なのであろう。鷹鷲は確信した。懽子内親王がこの寺に来るに違いないと。それも今日か明日かに。昨日阿智宿にいた時、内親王の一行は峠越えの休息をとるとて阿智宿にしばらくは滞在なさるとのことであったが。その間、斥候が先々の安全を確認するとともに、滞在先であるこの寺に先触れをし、種々のアレンジをしたに違いない。だとして、何故この臨済宗の寺に来るのか、内親王は仁和寺の門跡。仁和寺は真言宗。お寺通しの繋がりはまずないであろうに。鷹鷲には懽子内親王がここに来る理由が全く解らなかった。

 薬石の後、件の二人の忍びと思しき雲水が鷹鷲にアプローチしてきた。通常、僧堂内にいる時に私語を交わすことはできないが。すれ違いざま伊賀者同士が用いる言葉で他の会下に悟られぬように接触してきた。多くの言葉を交わすことは無論不可能である。そこで伊賀者の定石で次の接触時刻と場所を示す。その時に詳細の情報交換を行う。
 相手が示した時刻は、八三の刻。初めの数字は日の出から日の入りまでを6等分し零時を九つ、そこから順に減らし四つまで数える。また一桁目の数字は6等分された初めの数字をさらに四等分したもので1から昇順で4まで数える。三はそれの四等分(約30分)した三番目の時刻。調度この季節は春分に近く夜昼均等に分割されるため、八は午前2時。七が午前4時。したがって八三は午前三時から三時半までの間。
 そしてまた相手が示した場所は庫裏の外。この寺の場合、朝は七刻から始まる。つまり皆が起きる直前に外で落ち合うと言うのだ。一方的な申し出を受け取る瞬間しかないため鷹鷲は相手に了解も否定もできない。つまり、相手の申し出に従う以外はコミュニケーションをとる方法はない。今晩も開枕後夜坐があった。その後皆寝静
まった。

 僧堂の外はかなり寒かった。下限の月が南東に昇っていた。実は夜間の時刻は月の満ち欠け具合と方位から検討をつける。例えば満月であれば南中が深夜零時。下限の月では昇り始めが零時(東)で午前六時に南中となる。つまり今、ほぼ八三の刻。庫裏の庇には小さいが氷柱ができているのが暗いながらも分かった。相手は既に鷹鷲が来るのを待っていた。相手は墨俣であった傀儡女に扮した女忍びとは異なり南伊賀の名張の黒田党だと言う。鷹鷲には意外であった。鷹鷲の記憶では、黒田党は元弘の乱以来ずっと南朝方の筈である。  
 小声ながら喋るたびに口から息が白く出て行く。彼らは案の定、執事高師直殿が直属に組織した間者隊であり、懽子内親王の動きを追っていると言う。だが厳密には足利左兵衛督直義殿の謀反を内偵するミッションが究極の目的で、懽子内親王の動きを追っているのはあくまでもその一環に過ぎないと言う。墨俣の傀儡女の時と異なり鷹鷲は緊張していた。相手は傀儡女から鷹鷲達が実は南朝方の忍びであることを聞いているはずである。原則、敵同士。ただ、ややこしいことではあるが、今、執事高師直殿の敵を足利左兵衛督直義殿として、また一品中務卿宗良親王を現南朝の天皇の仮に敵と捉えるならば、敵の敵であるので味方であるとも言えた。まして伊賀者同士である。できることならお互い平穏無事に通り過ぎていきたいものである。
 彼らは内親王一行の斥候を密かにつけ回し内親王がこの寺に滞在することを察知したのだが、この寺に内親王が滞在する理由は解らないと言う。確かに何故この寺に滞在するのか鷹鷲にも不明であった。がしかしなんとも運が良い。先方から自分達の投宿先に向かってくるのであるから。明日の同時刻、同場所で再び情報交換をすることのみ約束し二人はそっと僧堂に戻っていった。 

 懽子内親王が開善寺の客殿に入ったのは正午を過ぎた頃であった。馬ではなく輿に乗ってきたようだ。それにしても内親王の顔は目西に似ていると鷹鷲は感じた。鷹鷲は作務中に一連のことを目西に話した。すると暫くして目西は
「信濃宮がこの寺に来る。さもなくば初めからそのような密会は存在しない」
と言った。理由は明快で、これまで懽子内親王の一行は一度も南朝支配地に入っていないこと。これだけ派手な一行である。確かにこの一行が南朝支配地の大河原に行くというのは如何にもナンセンスなことと言える。だとすれば信濃宮側が北朝支配地域内にくるはずである。北朝支配地内を移動となれば宮は目立たぬ出で立ちであろうことも目西は言い添えた。鷹鷲は目西の洞察力に感心するとともに恐れを感じた。

 実は昨日から客殿には懽子内親王とは別の客がいた。客人は高僧の身なりをしており、所謂貴族や武士の姿ではなかった。どうやら紫袈裟である。紫袈裟の着用には勅許が必要なのだが。ただ年は高僧と言うには若く三十代程度に見えた。どこぞの臨済宗のえらいさんでも来ているのだろうと誰しもが思っていた。他の寺の住職なりが来ることはしばしばあることなので。稀に他宗派の僧も来るが。実はこの僧、よくよくと観察すれば臨済宗ではなく天台宗の坊主であることが判るのだが。
 晩課(ばんか:夕刻の勤行(読経))の際、この高僧と思しき客人と懽子内親王は客殿でお互いに挨拶をし、なにやら会談をしている様子であった。懽子内親王も門跡。高僧の類と言える。雲水達から見れば高僧同士、天上の会談である。このことを件の忍びの一人がそれとなく鷹鷲に伝てきた。そして鷹鷲はそれを目西に伝えた。すると目西は一言だけ、他の雲水にも聞こえるかもしれない程度の声で言った。
「それは宮ぞ」
 鷹鷲も北朝執事配下の忍び達も信じられないという様子であった。もし本当に信濃宮であれば北朝の重要人物と密談を持ったことになる。密談の内容は定かではない。むしろ、内容などはどうでもよい。密談したという事実だけでも充分事件であり、考えようによっては謀反の証拠になる。ただ、ここで重要なのは本当に客人が信濃宮であるのかどうかである。もし事実であれば、事は鷹鷲が想定していたよりもかなり早くかつ計画的に実行されていると言うことになる。やはり、俄かには客人が信濃宮であるとは信じ難かった。

 八三の刻。鷹鷲は目西のことも呼ぼうかと考えたが小声で喋ることのできない彼を呼ぶのは結局止めた。昨日同様、庫裏の外は寒く、また庇には氷柱が成長していた。毎日、昼には解けてなくなり夜間にはこうして成長する。それを繰り返す季節なのだ。そして吐く息は白い。鷹鷲から極僅かに送れて黒田党の忍びが現れた。相手方は二人だ。
 ひそひそ声で様々な情報や意見がでた。もし本当に南北朝の密談であるとして、幾つかの行動案が出た。一つの案として関係者をことごとく口封じ、つまり殺害してしまうというもの。だがこの案では事を大袈裟にする恐れが強すぎる。また南朝側は一人であるが北朝側は多勢である。さらに寺の関係者がどのように動くのか予測ができない。リスクが高すぎる。ではこのままこの事実を単にお互いの雇い主に持ち帰るだけなのか。ただしその場合、情報の確度が大事である。つまり、客人の素性の確認が必要。つまり客人が本当に信濃宮なのかを最後まで確認すること。もし客人が信濃宮であったとしても、この会談の後、大河原に向うとは限らない。どのようにして本人であることを確認するのかはかなり難しい。さらに一つ別の意見がでた。それは、お互いに、南北朝の密談など何もなったこととし雇い主に報告しない。こうすれば客人の素性を探る必要はない。だが、もし本当に直義一派と信濃宮の密談であったすれば、お互いの雇い主を裏切ることになる。でも忍びにとって武家の主従関係のような忠誠心は雇い主に対してはない。主家は伊賀の本宗家なのである。
 果てさてどのように行動すればよいのか。三人は暗闇の中沈黙してしまった。と突然闇の中から声がした。
「もし、お互いが報告しないことを約束しておきながら、どちらか一方が裏切り、客人の素性を確かめた上で雇い主に報告したとすれば、報告を受けた側が有利になる」三人は闇からのその声にぎょっとした。目西である。何時からいてどこから話を聞いていたのか。
 どの代替案(行動案)を選択するのがベストか。現代で言うところのゲーム理論のようなものである。もちろんその当時にゲーム理論のようにロジカルに解を得るような概念はない。しかし目西には思考できた。
「高僧の真相を突き止める。そしてお互いに報告する。ただし、行動はすべて別々とする。これがお互いに最も平等である」
鷹鷲は目西が雇い主、つまり鎮守府将軍北畠顕信、への忠誠心が強いのを感じた。顕信がこの異質の才人を強く信頼しているからなのか。それは何故か。鷹鷲は目西と顕信が異母兄弟であることを知らなかった。ただ、目西の戦略眼は認めざるを得なった。多少畏怖を感じつつも。結局、皆、目西の案でいこうと言うことになった。 

* * *

      旅の空 うきたつ雲や われならん
                道もやどりも あらしふく頃
 <李花集>
(旅の空に定めなく漂う片雲――あれが我が身なのだろうか。道もなく宿りもない、山風の激しく吹く頃)
 歌人としての宗良親王の歌である。この親王、苦労と浪漫の狭間に生きていた。


        





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