美佐子が真里に付き添われるようにして県立病院の近くにある、薬局に入ったときには午後1時を過ぎていた。処方された薬はパキシルと言う。薬剤師が差し出した薬の写真入りのプリントアウトには、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と如何にも専門的な名が振られていた。この他に頭痛薬でロキソニンとさらにその薬で胃がやられないための保護薬が処方された。そして薬剤師に現在服用中の処方薬を尋ねられ、何とか声に出して「デ・パ・ス」と答えた。すると薬剤師の顔がやや曇り、デパスは確かベンゾジアジピン系とかなんとかつぶやきながらパソコンで何やら調べた。そして、パキシルと同時の服用は避けるようにと言われた。
真里も仕事をサボって美佐子の車に乗って20号線(甲府バイパス)沿いにある和風のファミリーレストランで遅い昼食をとることにした。店は空いていた。テーブルは喫煙席である。というのも真里は職場を離れると喫煙するからである。着席して直ぐに真里はたばこに火をつけた。
「式年遷宮の年、わかった」
「うん・・・1285年に内宮が遷宮していたわ。・・・ああ・・・ええ、本当は1282年に遷宮してて欲しかったのよ」
かすれがちな声で美佐子は答えた。
「どうして」
「さっき・・・午前中話した百万塔の檜・・・・えっと伐採年が年代測定の結果では、1282年で、えっと、誤差がプラスマイナス5年だったのよ。でも、まあ誤差範囲内だし」
その時すぐに真里は美佐子のミスに気がつき、やや眉を曇らせつつ、タバコの煙を鼻からだした。
「美佐子。柱なんかに使う木材って、伐採して直ぐに使えるようになるものじゃないって知ってる」
「えっ」
「普通、数年寝かしてからだと思うわ。伊勢神宮の遷宮の場合、御木曳初式(おきひきぞめしき)とか、多くの行事を経てから使われるから、詳しくは分かんないんだけどね、伐採から遷宮までは三、四年ぐらいタイムラグがあると思うわよ」
美佐子はふっと一つの悩みが消えた気がした。と、とたんに声が良く出るように
なった。
「えっ、じゃあ、1285年の遷宮に使う用材って、1285年より数年前に伐採しているってことよね」
「そうよ。だから1282年伐採でちょうどじゃないかしら」
しばらくして、さぬきうどんの付いた日替わり定食が着た。真里は灰皿でタバコを消した。
美佐子は食事をし終えると、もらったばかりのパキシルを飲んだ。それから暫くして新たな不安を口にした。
「休職願いを出さなくちゃ。だいたい東にどう説明したらいいのよ。保育園関係はどうしたらいいのかしら」
「職場のほうは任せておいて。教育庁の総務課に私の後輩がいるから。保育園のほうは旦那さんにお願いするしかないんじゃない」
図書館も博物館も県の組織上同じ教育庁管轄でありそこの総務課が人事労務マターを取り扱っているのである。
「困ったわ。実はメールも禁止されちゃったのよ。だから、須坂先生や智さんに式年遷宮のこと伝えられないし、そもそも、うつ病になり休職することも伝えたほうがいいのかな」
「あら。それは困ったわね」
真里は食後のタバコをくゆらせている。
「仕方ない。ここまで乗りかかった船だから、私が全て代筆してあげるから、今までのやり取りメールで転送してくれない。そっか、メール禁止か。プリントしてファックスしてくれない。自宅に」
「何から何まで有難う。感謝しつくせないわ。ここはおごるわ」
真里がタバコをすい終わり二人はレストランを出た。
美佐子は家に帰ってから一連の出来事を夫の晴彦の携帯に電話をして伝えた。
晴彦は、
「わかった。会議が終わり次第帰るから。諸事は俺にませておけ、だからお前は
休め」
との返答であった。とりあえず晴彦や周りを信じて休むしかないようであった。
晴彦は娘を連れて6時頃には帰ってきた。夕食は晴彦がコンビニで買ってきたお弁当を食べた。晴彦は綾実の面倒をそれなりに見てくれているようなので美佐子は少し安堵した。
食後、再びパキシルを飲んだ。食休み後、今までの須坂や智とのメールのやり取りをプリントアウトして、真里に自宅からファックスを出した。
午後11時、晴彦より先にベッドに入った。目覚ましもセットせずに。美佐子は眠れるかどうか不安であった。睡眠不足と思い始めた頃、近所のクリニックに行って睡眠薬として処方された薬がデパスである。実は美佐子にはデパスはあまり効かなかったのだが。一度、晴彦が眠れない時に分け与えたら、彼にはものすごく良く効いたので驚いたことがある。自分には効かなかったとは言え、今晩デパスを頼らずに眠れるのかどうか不安であった。そんなに直ぐに仮面うつ病が治るわけでもない。本当にこの寝つきの悪さの原因がうつであるとは思い難いし。これからきっと何日も睡眠不足は続くのであろうと心配であった。いっそ仕事がないのなら、綾実を連れて鎌倉の実家にでも戻ろうかと本気で思う。そうしたら、晴彦も、富士吉田に賃借りして楽だろうし。綾実も保育園を辞めさせて。鎌倉で別の保育園を見つけるのは大変だけど、母に全部面倒を見てもらおうか。孫の世話をすれば母にも張り合いがあっていいかも。などなど・・・・
翌朝、美佐子が目覚めたのは午前8時頃であった。美佐子には信じ難いが8時間半以上寝ていることになる。夕べ何時に就寝したかすら分からない。最近の平均睡眠時間は5時間以下程度。短い時は3時から6時の3時間。長いときでも1時半から7時程度だと言うのに。パキシルのおかげかしら。セロトニンなんちゃらはすごい、デパスよりずっと効く。ひょっとして私はもう治ったのかしら。もともと仮面うつ病だから精神にはきていないし。でもそれは誤解だということを直ぐに思い知らされた。
携帯禁止なのだが、やはり気になって画面を見てみた。東からの着信が4件。すべて昨日の午前中の着信である。内一つはメッセージだった。
「今日は博物館にはこないのですか」
東の声を聞いたとたん、結構激しいめまいがし、暫くその場に蹲った。めまいが治まった後は耐えられないほどではないが片頭痛が始まった。
朝食後、晴彦に鎌倉の実家に戻るべきかどうか相談してみたが答えは、今は分からない、考えておくというものであった。明確な回答を避けたのか。娘を保育園に連れて行った後その足で会社に行くからと、そそくさと綾実と出て行ってしまった。
昼前、真里から真里が須坂に送付したメールのプリントアウトのファックスが届いた。パソコンをオンせずに文書が読めるのには新鮮な驚きを感じた。が、何でわざわざ、メールを紙にするのか疑問も感じた。メールを禁止されたからと言って、その内容をファックスでやり取りしていては。でも夜中にディスプレイに向かっているよりはずっと健全なのか。何か不自然だと思いつつ美佐子はファックスを読んだ。
FAX送信 | |||
宛先 | 岩井 美佐子 様 | 発信元 | 三杉 真理 |
FAX | 055−2**−**** | FAX | 055−***−**** |
電話 | 055−23*−**** | 電話 | 055−***−**** |
日付 | 3月29日(水) | ||
件名 | メールの写し送信 | 枚数 | 本票含み2枚 |
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三杉のメールはCC:で智にも入っており紀雄以上に岩井の病気は智を狼狽させた。紀雄は驚きはしたものの、東と岩井のやりとりでつねづね不味いものを感じており、いつかは岩井が変調をきたしてしまうのではと想像していた。むしろやはりこうなってしまったか。あるいは自分が東に忠告したほうが良かったのではなかろうか。紀雄は驚くよりむしろ自分の責任を考え悩んだ。しかし、紀雄の場合、悩んでも身体に症状はでない。また抑うつ的気分にはたまになる。それで精神科にかつて何度か行ったことがあるが、医者からうつと診断されたことは全くなかった。
ところで、三杉とは、メールの文面からはかなり式年遷宮に知識がありそうであるが、どのような人物なのであろうか。想像がつかなかった。
また、紀雄はこのメールを東に転送したものかどうか悩んだ。東と岩井の関係を考えると出さないほうが無難な気がした。岩井が病気であるという事実がもし、東に未だ伝わっていなかったら。そして、自分から送信したメールでその事実を知ったとしたら。しかし、すでに相当時間が経過しているのだから、当然東には伝わっているはず、それに式年遷宮に関して判明した事実は東に伝えるべきである。そこで結局、紀雄は三杉という見ず知らずの女性から来たメールを転送の形で東に送信したの
である。
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