送信者: ”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp> 宛先: <n-suzaka@joetsu***.ac.jp> 送信日時: 20**年3月22日 21:01 件名: 内文書に関して |
TO:智様、須坂教授殿 cc:東館長殿 お世話になっております。山梨県立**博物館の岩井です。 本日は当館ご来場誠に有難うございます。 (。 ̄▽ ̄)ノ さて、当館の東が万葉仮名と気づき解読できました内文書は以下のとおりです。 |
紀雄は自分の個室を出て研究室の学生達の居室に入った。誰もいない。学生の机の上に、暗号化技術の教科書があった。紀雄の現在の専門はデジタル透かしであるが、この透かしも秘匿されたメッセージを伝える手段。暗号と同一目的であり、暗号技術はクリプトグラフ、透かし技術はステガノグラフと呼ぶ姉妹技術である。紀雄の研究室にあって当然の教科書である。紀雄は、その暗号化の教科書を手に持って中を呼んでみた。歴史的かつ古典的な暗号技術から果てはヒトラーのドイツ軍で使用されていたエニグマまでテキストの前半部で解説されている。無論、公開鍵及び一方通行関数あるいは楕円関数を用いたインターネットの暗号技術等、現代の暗号化の解説が主たる目的の教科書なのだが。紀雄はページをめくるうちに、あるコラム記事と書かれたページで目を止めた。
コラム:和歌に仕組まれた暗号 をぐらやま みね立ち鳴らし なく鹿の へにけむ秋を しるひとぞなき でる。こうした歌を「折句」と呼ぶが、暗号を各句の頭に分置するものを[冠](かむり)、 末尾に置くものを[沓](くつ)といい、さらに両方に折り込むのを[沓冠](くつかむり) と称する。 |
紀雄は慌てて自分の部屋に戻り、岩井からのメールをプリンタで出力した。そうか、間違いない。
(む)虫付きの (つ)露と濡れたる (の)野の水を
(み)水欲しければ (こ)これ集めたし
(こ)こと辛く (の)飲みたる水の (し)白ければ
(ま)松の根の井の (す)過ぎたる塩の
(み)磨けども (て)鉄の錆たる (ち)契りの葉
(よ)よくよく塩の (く)臭みざらまし
(し)知ねども (ま)真水欲し (つ)露集め
つまり、「むつのみここのしますみてちよくしまつ」である。
意味は何とか通る気がした。間違いなくこれは冠であろう。漢字を適当にあてがえば、より意味が通るはずである。
六つのみ、ここの島住みて直枝松
さらに転置をして
直枝松、六つのみ、ここの島住みて
さらに現代風に意訳すると
まっすぐな枝ぶりの松の木、六本のみがここの島に未だに植生しています。
紀雄は自分なりに意味を解釈してみた。これは大発見であると思った。しかし何故このような他愛もない歌をいかにも暗号化して、さらに鍵機構のある百万塔のレプリカに入れて、それも忍者を連想させる伊賀の上神戸に送付したのであろうか。暗号、密書輸送、忍者、これらのキーワードは矛盾無く繋がるのに、暗号文の内容がこれでは。紀雄は解せなかった。悩みつつも、この大発見を岩井、東、智全員を宛先にしてメールを出した。
学食も休みに入っていた。そこで紀雄は車でキャンパスを出て北陸自動車道のガードの先にあるファーストフード店のドライブスルーでアイスコーヒーとハンバーガーとフライドポテトを買ってきた。そして研究室に持ち帰り、再びパソコンの前に座った。博物館というのは暇なのであろうか、紀雄がメールを出してから未だ2時間半しかたっていないのに岩井からも東からも返信があった。ただ、東からのメールは「暗号とは気づきませんでした」という内容のみの返信であった。
岩井からのメールははるかに長く重要な内容である。
送信者: ”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp> 宛先: <n-suzaka@joetsu***.ac.jp> 送信日時: 20**年3月23日 11:33 件名: Re:和歌は暗号です |
TO:須坂教授殿 さて、先生の暗号解読、ご専門分野とお聞きしておりましたが、このような古文書まで先生のテリトリーとは恐れ入ります。(∋_∈) 古文書の解読は元来私の専門でして、私が、気がつくべき事項なのですがお恥ずかしい次第です。φ(Θ−Θ) 先生のご指摘どおり、折句の冠であるというのは間違いないことと思われます。また、先生がご指摘の、伊賀忍家への密書の内容にしては文が妙だと言う点に関してですが、現代訳文を考え直す必要があると思い以下の解析をしました。つまり、「むつのみここのしますみてちよくしまつ」の漢字への変換に関していくつかの可能性で再考しております。どこまでを単語と捉えるかで様々ですが、基本的にこれは五七調と考えたほうが良いと思われます。 一番初めの五文字は意味合いの通りから言って、個人的には六つの皇子(=六歳の皇子)が妥当だと考えています。陸奥の皇子も意は通ります。この島すみての、すみて部分は隅で、あるいは、住みて、澄みてが妥当です。最後の七文字部は上のリストから考えても「ちよく・しまつ」と分けた場合、全体の文意が通じなくなるため、やはり「ちょくし・まつ」が妥当で、勅旨松、勅使松あるいは勅使待つが良いと思われます。全体を通しますと、 六つの皇子 この島(の)隅で 勅使待つ |
食べていたフライドポテトがキーボード上に少しこぼれた。紀雄は画面を見ながら頷いていた。岩井の言う通りである。自分の国語力のなさにも改めて気がつかされた思いである。岩井が読み人を教養人と言っているが、少なくとも自分よりも国語力のある人物であると紀雄は確信した。確かに紀雄が考えた文意では秘匿の意味がまるでないが、「六つの皇子 この島住みて 勅使待つ」であれば充分秘密事項と言える。では「六つの皇子」とは誰のことであろうか。「この島」とはどこの島のことであろうか。再び新たな疑問が生じたことになった。ただ島と限定されれば求めている範囲はぐっと絞られたことになるのではなかろうか。
紀雄はメールを閉じた。遊びはもう止めて仕事を片付けなければと。紀雄はJOIという論文誌のレフリーとなっているため三報分だけなのだが論文を査読しなくてはならなかった。また新学期からの講義の準備をしなければならない。四年生の講義に暗号化技術でも新たに加えよう、そう思った。