紀雄が大学から戻るとリビングに智がいた。智にノートPCを与えてから家で食事以外の時に自室で彼がPCに向かっていないというのは異例中の異例のことだ。いったいどういう風の吹き回しであろう。
「智ちゃんあなたの帰りを待ちわびていたのよ」
と芳子がキッチンから対面式のシンクを隔てて言った。
「ビールか何か持ってきてくれないか。智も飲んでみるか」
この飲酒の誘いにはもちろん智からの返答はなかった。しかし、自分のことを智が待っている。これは進歩と考えてよいのだろうか。彼ももう大学生になるわけだし。


 智は一連の百万塔事件の問題点を整理したいという提案をしてきた。何故メールではなくフェーストゥフェースで。でもそんなことはどうでもいい。父子で事件についての議論をするのであるから。智はレプリカを巡る謎を表としてまとめた出力を持っていた。



 智の表にはウバメガシの伐採地に関する説として知多説とあり、その後ろに父と記してありクエスチョンマークまで付されていた。紀雄としては、知多は説ではなく、智のウバメガシで有名な地域のリストに挙がっていなかったのでメールを出したまでのつもりであったのだが。でも父親の出したメールに対するこれが智なりのレスポンスなのであろう。
 確かにこうして謎に対する既決、未決、説に分けると状況がよく分かった。また、おかげで智と何を解決すべきかについて紙というメディアを付随させることで御互い楽に論ずることができた。伐採地が分かれば、どこでレプリカが作られたかが分かるかもしれない。このことが、問題解決にとってキーであることに智と紀雄は一致した。しかし、智は相輪部から揺らすと出る音の問題に固執していた。また、紀雄は紀雄で、内文書が暗号であり、それを自身で発見したということもあり内文書に固執していた。解読された暗号にある「この島」に強く引かれるものがあった。島がレプリカ作成の舞台である可能性について、紀雄と智は議論した。島でウバメガシが伐採されるのか。島だとすればウバメガシとのリンクから考えて伊豆諸島から瀬戸内海の島々が濃厚ではなかろうか。まして皇子が居たとなれば島流しが連想されるが。時代背景的にはどうか。檜の伐採年である1282年及びウバメガシの伐採年である1338年。これらの時代で島が関連した事項は。ここに話が至った時、紀雄は自室に戻り、
先日まとめておいた年表と、さらに、気になっている内文書のスキャン画像をプリントアウトし、再びリビングに戻ってその出力を智に見せた。リビングに戻った時、夕食の支度を終えた芳子も智のリストを見つめていた。
 家族三人で一つの話題を議論する。須坂家始まって以来の出来事ではあるが、実際、興に入っている紀雄はそのことには気がつかなった。
 紀雄の年表を見て皆の目に入ったのは1338年9月の伊豆大島三原山噴火であった。伊豆である。島流しとしてはあり得る場所でもある。伊豆半島にはウバメガシの群生地もある。そう言えば現代にも三原山が大噴火を起こし全島民避難ということがあったことなどが家族の会話としてあがった。だが本当に大島は候補地なのであろうか。決定的な証拠や論理的繋がりに欠けていると智は主張した。紀雄も伊豆というのには違和感を持った。暫くの沈黙の後、芳子が言った。
「後醍醐天皇って隠岐に島流しになったのでしょ」
それはそうだが、何の脈絡もない。まして隠岐は日本海である。直ぐさま隠岐は家族会議の候補地からは除外された。そしてまた暫くの沈黙。が、またも芳子が口火を切った。
「ねえ、パパの持ってる内文書のその点々は何かしらね。染み跡にしてはちょっと変じゃない。墨が落ちたにしてもおかしいわ」
紀雄も智もスキャン画像に目を移した。確かに点々があった。しかも不自然なことに二枚ともにそれぞれ一箇所だけに点ではなく縦に点々と二点、意図的に書いてあるようである。気がつかなければ気付かないが、一旦気にしだすといかにもその点々は不自然であった。だとすればこの点々は何であろう。内文書の一枚目には「参拾壱ヶ条」の“ヶ”の右横に、二枚目では最後の文である「美須本之津喩阿津女」の“喩”と“阿”の中間の左横に点々がついている。いったいこれは。紀雄は暫く考え、徐にA4横一枚で印刷されている紙を横向きの中央でおりたたんだ後、できた折れ線から紙を切った。本物の内文書と同じように二枚に切り分けたのだ。
      

 そして一枚目と二枚目を重ねてから、リビングのシーリングライトに向け、透かすようにして見た。それから一枚目の点々と二枚目の点々がぴったり合わさるように重ねた。すると太字で、ある文字が浮かび上がった。

   

 多少の食い違いはあるが、これは篠(しの)という字であると思った。篠ノ井線の篠である。篠笛の篠である。そして、篠島の篠である。
「ははん、やはりそうか」
と紀雄は一人納得したように呟いた。これは紀雄の専門である透かしである。無論、紀雄の専門はこのような古典的な画像秘匿技術ではなくデジタルデータにおける、情報理論としての通称「透かし」と呼ぶ情報秘匿技術ではあるのだが。
「これは、透かしだよ。ステガノグラフだよ」
と言いながら、智と芳子にライトにかざして浮かび上がる「篠」という字を見せた。
「島は篠島のことだよ」
紀雄がそう言ってもあとの二人はぴんときていない。当然のことであろう。紀雄とて、つい先日、京都のホテルで「知多半島」のネットサーフィンで篠島のサイトを見るまでは篠島という島に関して名前すら知らなかったのだから。もし本当に篠島ということであればウバメガシもまた本当に知多幡豆神社の叢林のものである可能性が高い。紀雄が愛知県の篠島に関して説明しようとした時、
「島に関しては自分で調べる」
と智が呟いた。少しばかりむくれたのか。知多説が有力になったためか。紀雄が一人で納得し悦に入ったためか。癇癪を起こさなければ良いのだが。気まずい雰囲気になりかけた。「さあさ、ご飯にしましょう。冷める前に」
芳子がまた雰囲気を変えてくれた。智に気性があるかないかは別として、芳子は根の暗い紀雄とは基本的に異なっている。根の明るい女であった。紀雄はほっと溜息をついた。
                 * * *

 翌朝、智は靴下のことで久しぶりに癇癪を起こした。大学入学を前に新しい下着をいくつか芳子がおろした。何が気に食わないかは不明であるが、今日準備した靴下がよほど気にそぐわなかったらしい。他の靴下やシャツ、パンツは問題なく受け入れていたのに。結局その靴下は紀雄のものとなった。
 紀雄は書斎でパソコンのパワーをオンしがてら、その靴下に履き替えてみた。この靴下の柄、またはこの黒っぽい色が良くないのか。確かに柄も色もビジネスソックス的である。芳子としては大学生になるのだからというつもりであったのかもしれない。でも社会人と学生は異なる。紀雄の大学でも、例えば女性だが、大人の色香のある子から幼げな子まで様々である。
 メールが何通か家のアドレス宛てでも届いていた。夕べのうちに智は篠島の件を岩井と東に伝えていた。その返信がもう岩井から来ているのだ。メールを出した時刻が深夜2時となっていた。岩井というのはちょっとだけ、おたくっぽいのか。あるいはTo: で届いたメールには必ず直ぐに返信をする律儀な性格なのか。たしか、昨年七五三にいった歳の娘がいるのだから主婦であろうに。こんなに深夜まで起きていて、主婦業をこなしかつ博物館でも学芸員として働いていて身体がもつのであろうか。紀雄には全くできないことであると思った。

送信者:   岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:     <satoru@mfx.hink.ne.jp>
送信日時:   20**324 02:17
件名:     Re:この島の件 

TO:智様、須坂教授殿
cc:東館長殿

お世話になっております。山梨県立**博物館の岩井です。(@@‘)
非常に驚いています。(=‘□’=) 正直興奮しています。内文書に暗号のほかにも透かしで島名が記載されているなど考えも至りませんでした。そして、“この島”=“篠島”が正しいとすれば、これは大発見です!!! 今まで疑問であった多くの謎が一挙に解決されるかもしれません。明日、篠島を含めて一連の資料を調査してみます。        以上

---- Original Message ----
From:”須坂 智 <satoru@mfx.hink.ne.jp>
To: 岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
Sent: Thursday, March 23, 20** 21:22
Subject:この島の件

岩井様、東様

本日、家で議論の結果、私の父親が以下の発見をしていますので報告しておきます。
二枚の内文書にはそれぞれ一箇所づつ、縦に点々と二点、多分意図的に印が付けられています。場所は内文書の一枚目では「参拾壱ヶ条」の“ヶ”の右横、二枚目では最後の文である「美須本之津喩阿津女」の“喩”と“阿”の中間の左横です。これら一枚目と二枚目の点々を重ね合わせ透かせてみると「篠」という字が浮かび上がります。父親の主張によれば、この手法は古典的ステガノグラフ(透かし)で暗号と並ぶ情報の秘匿技術であるとのこと
です。従って、“この島”=“篠島”(愛知県知多半島の先4キロの三河湾にある島)であるというのが父の説です。また知多半島の先端の師崎にある幡豆神社にはウバメガシの叢林があり、そこのウバメガシが使用されたことが類推されます。(これも父の説)

これらの説に関して、私は現状で異論はないです。私の父親は多分、自身できちんと自説を裏付けするエビデンスを得ることが想像されます。

須坂智

 最後の一文は父親に対する依頼とも言える。自説を裏付ける確たる証拠(エビデンス)を自分で見つけなさいと。依頼というよりむしろ命令である。紀雄にとって、ひっかかることの多い文章ではあったが、複雑な気持ちを飲み込み、最後の一文に納得していた。
「自説を裏付けるか」
 春休み中には是非、篠島に行ってみようと紀雄は呟いていた。今年のゴールデンウイークはポスドクの研究生である則武君と米国シアトルで開催される通信セキュリティーの国際シンポジウムでプレリミナリー講演のレクチャーラー(講師)をしなくてはならない。そのため春休みを逃すと旅に出るチャンスは当面ない。



       





Copyright(c) 2019. Gigagulin (偽我愚林)
HOME    NOVEL    BEER    LINK    MIKADOI 17

第一部目次 (上越高田  篠島編)