三月最初の月曜日。昨日、紀雄は入学試験の試験官に当たっていた。自分のいる大学の入学試験日、積雪もなく無難に済ますことができて良かったのだが。三月の初旬とはいえ積もるときは積もる。明けて今日、研究室の窓の外は一面銀世界である。ただ、よく晴れている。今日の日差しでかなりの雪が解ける可能性がある。軒下には雪解け水が滴り雪面に穴をあけている。紀雄は研究室のパソコンでメールを開いた。何通かの新着メールがある中に、智からの返信があった。驚いたことにその宛先は紀雄ではなく東になっていた。

送信者:     <satoru@mfx.hink.ne.jp> 
宛先:       ”東 亨”<t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
送信日時:   20**年3月5日 22:33
件名:       Re:教えて下さい
 山梨県立**博物館 東様

添付写真から明らかに相輪部分と塔身部分では樹種が異なっている。写真からは判別しづらいが木目の方向もことなっていると思われる。例えば仮に蓋となる相輪部はブナ材であり、塔身部は檜材である場合、それぞれの樹種の水分に対する収縮率が大きく異なるため、除湿あるいは乾燥することにより、簡単に蓋が開く可能性がある。
 一般的にブナ材などの広葉樹は水分に対する収縮率が大きく、逆に檜材などの針葉樹は水分に対する収縮率が小さいこと及び、収縮の異方性として、木の繊維方向には収縮膨張が生じない性質がある。例えば木の含水率1%当たり収縮率は下表のとおりである。

              板目     柾目    繊維方向 
 広葉樹    ブナ   0.33   0.18   0.017
        クリ   0.36   0.17     −
 針葉樹   ヒノキ   0.21   0.11   0.013
        スギ   0.26   0.09   0.011
          ただし、板目は年輪の接線方向、柾目は年輪に垂直の方向

 つまり上の例では湿度に対して蓋である相輪部の方が本体である塔身部より膨張しやすく、湿度あるいは水分が上昇するとロックがかけられている状態となり、逆に乾燥すると、蓋の方がより大きく収縮するためにロックがはずれることを意味する。 例えば、単純に蓋が板目のクリで本体が柾目のヒノキであるとすれば3.5倍である。 ただし、乾燥時の蓋落ち防止にねじ溝などの機構が付けられていることが推察される。また、この塔の製作者が意図してこのロック機構をつけたことも推察される。多分、ロックをかけるときは、蒸気にさらすなどして木の含水率を上げ膨張させたと考えられる。

 一体何故、智がこのような知識をもっており返事を出したのか。紀雄には理解できなかったが、メールの内容が本当であれば、紀雄が学内での有識者を探す必要はなくなる。この智からのメールの後に東からのメールが入っていた。

送信者:      東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:         <satoru@mfx.hink.ne.jp >
送信日時:   20**36 17:13
件名:        Re:教えて下さい
Satoru先生、須坂先生

アドバイス頂きまして誠に有難うございます。百万塔を早速、デシケーターに入れて乾燥させることにいたしました。今後とも宜しくお願いいたします。また、もしご迷惑でなければ、先生のフルネームと学部学科をご開示お願い申し上げます。

須坂先生

 早々のご紹介、大変有難うございます。今後とも本件の進展に関しても引き続きメールでご報告させていだきます。

                                     以上

 東は智が紀雄の知り合いの教官であるとすっかり思い込んでいるようである。このまま誤解させておくのもなんなので紀雄は全員に返信で、Satoruとは自分の息子である旨のメールを出した。多分、智はパズルでも解くつもりで、インターネット等で様々なことを検索しかつ自分で思索したのであろう。

 昼過ぎまでには案の定、雪はすっかり融けていた。道路は水浸しである。海の方、つまり直江津の方に目をやると風力発電機の大きなプロペラが見える。そのプロペラがゆっくりと回っているのが見えた。風力発電は年々増えつづけているがあのプロペラが猛禽類のギロンチンになっているという事実はあまり知られていないようである。
 紀雄はそのままインターネットの検索エンジンで百万塔陀羅尼を検索してみた。随分とヒットするものである。本物の百万塔には智の推論のようなロック機構は全くなさそうである。紀雄の興味を引いたのは印刷会社の博物館のホームページである。そこの博物館には本物の百万塔陀羅尼が展示されていることになっている。東京の小石川にその博物館はあるらしい。アクセスを調べるとJRの最寄駅は水道橋駅である。そこから徒歩で13分となっている。今度また東京にいったときにでも立ち寄ってみようと思った。今度東京に行くとき、それはもしかすると智の下宿準備で智と行くときかもしれない。智と一緒に博物館で百万塔を見るのも悪くないかもしれない。

 翌火曜日夜のことである。再び東からメールが着信していた。それは学芸員の岩井からのメールの転送信の形であった。

送信者:     東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
宛先:       <satoru@mfx.hink.ne.jp>
送信日時:   20**38 11:08
添付:    写真a004.jpg
件名:       Fw:相輪部分離の結果と分析依頼の件

須坂先生、智様

 お世話になっております。**博物館の東です。

 智さんが先生の息子さんであったとは大変驚きです。また、さらに智さんのご指摘どおり、乾燥させることによってとうとう百万塔の相輪部と塔身部は分離できました。大変、感謝しております。これもまた驚きました。さらにまた、中から陀羅尼が出てくるのだと期待しておりましたが、非常に驚いたことに二通の短い文書がでてきまして・・・? 内容に関しては現在のところ当方で検証中です。保存状態は良好です。これら二通の文書のデジカメ写真を添付いたしました。

---------------------- Original Message -------------------------
From:”岩井美佐子”<m-iwai@hmuseum.pref.yamanashi.jp>
To: ”東 亨  <t-higashi@yhmuseum.pref.yamanashi.jp>
Sent: Wednesday, March 8, 20** 8:42 AM
Subject:相輪部分離の結果と分析依頼の件 

東館長殿

 百万塔をデシケーター(温度25℃、湿度RH5%)に18時間いれた後、取り出したところ、確かにsatoru先生からご指摘のあったとおり。相輪部のほうが確かに収縮が大きく若干ですが緩みが生じました。そこで、加速させるため百万塔をデシケーターからタバイの恒温恒湿器(設定 温度50℃、湿度RH0%)に移し10時間投入しました。その後取り出し常温に戻ったところで、相輪部を反時計回りに回転してみたところ、なんとなんの損傷もなく塔身部からいとも簡単に抜け外せました。(∋_∈)
 また、塔身の中空部には陀羅尼ではない短い文書が二通はいっておりました。現在、これが何かは検証中です。経典ではないことは明らかですが、日付も花押等もなくこの百万塔の素性に繋がる手がかりは全く皆無です。

PS

 上手く分離できましたので塔身部の底部と相輪部の底部(ねじ底部)から薄片をサンプリングし森林総研に樹種判定依頼をいたしました。またコストは倍以上かかるかもしれませんが炭素同位体法での伐採年代測定も依頼してもよろしいでしょうか。

岩井(3842)

 添付の写真からは文書というか2枚の紙切れが見て取れた。しかし、内容まではこの写真では全く分からなかった。それとは別に、紀雄は岩井のメールに書かれている樹脂判定と伐採年測定の方法に興味を持った。いったいどのような方法なのであろうか。岩井の専門は確か仏教美術。メールで彼女に質問するよりも、智に聞いたほうが早いのではなかろうか。そう考え、智だけに宛て、樹種判定と伐採年測定の方法に関して問うメールを送信した。
 その日の内に智からメールでの返信があったが、随分シンプルな返答であった。

送信者:     <satoru@mfx.hink.ne.jp>
宛先:       <suzaka@mbx.hink.ne.jp>
送信日時:   20**38 19:44

件名:       Re:樹種判定及び伐採年測定の方法
父へ

ホームページでの検索から以下の通りである。
樹種判定:木材の細胞はその木の種類によって構造に特徴があり、光学顕微鏡で
     観察すれば種類を判定することができる。

年代測定:木材の場合、一般的には放射性炭素年代測定法が用いられる。この方法は
     樹木などに含まれる放射性の同位体炭素の量を測ることによって伐採年代
     を推定するもので、樹木が生きているうちは呼吸により通常炭素と放射性
     炭素量の比が一定に保たれるのに対し、伐採などによって死亡すると外界
     の炭素源と遮断されるため放射性炭素のみが半減期(その原子でなくなる
     速さ)に応じた崩壊するため、その量を測定すれば伐採年代が計算できる

                                   以上

 普段の智とのめったにない会話において、紀雄は智の口から父、おとうさん、パパなる言葉を聞いたことがない。レターヘッドではなく文頭に「父」と書かれている。メールは偉大である。どうしてもっと早く智にメールを自由に使わせなかったのであろうか。フェーストゥフェースのコミュニケーションが苦手な自閉症者に対する最高のコミュニケーションツールではないか。紀雄はまたひとつ小さいかもしれないが智に対する責務の荷を下ろした気がした。



         




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